先週金曜日に父が空へと旅立ちました。
皆様方におかれましたは、
生前には、親身に相談にのって頂き、ありがとうございました。
色々な方の支えがあり、心丈夫でした。
父は、寿命を全うしたと思います。
認知症介護に携わり、5年間は、
家族は右も左もわからない手さぐりの状態からはじまりました。
悲しみと諦めと、家族として尽くしたい気持ちが交錯した日々。
4年ほど前からは、自宅での介護心労は、ピークで家族みんなが、
それぞれ精神的にも疲れ果てていました。
日中深夜問わずの徘徊、トイレの場所もわからず、家中に用足しをしていました。
その清掃を気が付けばいいのですが、ときには、気が付かないこともあり、
全身で、動きを察し、寝ている時も、
離れて居る時も父の気配を目で追いかけていました。
オムツを履かすにも母と私で抱きかかえながらします。
その時すでに私の顔も覚えられず、
「この子、だれや?」と向かい合った顔をのぞきこまれた時は、
認知症という病気の本当の悲しさを知り得ました。
今振り返ればこの時期が家族にとっても、それ以上に本人にとっても
一番苦労した時期でした。
認知症としての現れるありとあらゆる症状をすべて、行っていました。
加えて、私は、子どもを出産したばかり。
ドラックスーパーでは、赤ちゃんのおむつと
大人用のおむつがカートに混載しています。
授乳させて居る間に、徘徊を制止させたときは、さすがに泣き叫びました。
徘徊に付き合うときは、娘をベビーカーで押しながら
散歩という気持ちで付き合いました。
そして、外部へお願いしようと決断に至るまでは
何度も心の葛藤が繰り返されました。
母が全面的に介護をしているのに、私は、そのサポート役。
私の方からねをあげてはいけないと、
自宅に居させてあげたい気持ちと限界の文字が胸の中で渦巻きます。
それからしばらくして、母も了承しました。
2年半ほど前からは、施設でお世話になっていました。
最期は、穏やかに眠るように、
そして、温かいスタッフの方に見送られたと思います。
家族の要望もたくさん聞き入れてくださって
若い方々なのに本当に一生懸命してくれたと思います。
父は、電器メーカーのサラリーマンでした。
土日もなく、まじめで、ずっと働きっぱなしの人生。
生真面目と熱心さで50年前の北海道に赴任し、
道なき道を歩き、厳冬の北の国で冷蔵庫を売っていたこと
朝起きると、布団が吐く寝息で凍っていたこと。
朝まで酒をのみ語り合った仲間のこと。
よくお酒が入ると何度も何度も武勇伝を聞かされていました。
家族も父の転勤にあわせ、曽根、仙台、枚方、宝塚と移り住みました。
ここ宝塚は、私の小児ぜんそくの治癒のために選んだ場所だと聞きました。
ことしの6月。
体調が崩し、医者からは、7月末まで持たないといわれていました。
ムセもひどいし、腸も受け付けなくなっていました。
しかしながら父は、口から食事も頑張って食べていました。
特に甘いものは大好きで
頂き物のマンゴープリンをぺろりとムセもなく完食したときは、
食事介助していた母もとても喜んでいました。
この夏が終わり、ようやく落ち着いていたのですが、
その時がきました。
お昼間は元気だったのに夕食後急に様態が悪くなりました。
大好きな食事をたくさん食べて旅立ちました。
母も「やっと帰ってこれたね。」と
2日間、脇で一緒にいることができました。
とても仲のいい夫婦でした。
子どもの時から夫を尊敬し、夫を自慢していました。
そして、スーツをきてパリッとした姿、
四国や西国のお参りでいただいた印やお袈裟をして旅立っていきました。
会社から頂いた数々の表彰状とともに…。
最期までサラリーマンでした。
父の身体はなくなりました。
高齢で84歳といえば寿命だとわかっています。
しかし、お父さんから受け継いだものは、
頭の先から爪の先まで、体質までたくさんあります。
いまは、たくさんの感謝につつまれて
改めておおきな感謝の気持ちにあふれています。
お父さんまた会える時まで、しばらくお別れです。
お疲れさまでした。
急遽臨時休講もさせていただき、
スタッフやみなさまには、大変ご迷惑をおかけいたしました。
諸事情は、お伝えできなかったので、ここで
改めて、お礼と感謝の気持ちをお伝えいたします。
ありがとうございました。
おかもとゆみ 2012年9月
yumi先生へ
この度は御愁傷さまでした。 逆瀬川教室が急に休校になったと伺ったので、 何か
あったのかと思いました。 今年の夏は格別暑かったですし、 私達も随分身に応えました。
お父様はきっと御家族の方の愛情をいっぱい受けて、沢山沢山 持って逝かれたと思います。
本当にお疲れ様でした。 御冥福をお祈りいたします。
どうか皆様 お疲れが出ませんように、くれぐれも御自愛くださいませ。
ありがとうございます。
皆様には、大変ご迷惑をおかけしました。
教室のみなさんの支えなしでは、ここまでやってこれなかったです。
お出会いに感謝します。
吉井さん。
いつもありがとうございます。
ゆみ先生へ
お悔やみ申し上げます。なんと申していいのやら・・・
21日の教室では、いつもの先生でしたので。
そういえば、ホームページがいつもと違っていました。お父様の状態が変化していたのですね。気が付きませんでした。
娘が父親を亡くす寂しさはたとえようがありません。でも、心の中できっちりとそばにいると感じることもできます、かけがえのない多くの愛や思い出を残してくれていますもの。
しばらくは何かと忙しいかと思います。お体にお気をつけてお過ごしください。
大宅さま
ありがとうございます。
父との思い出は、たくさんありますが、特に私が社会人になって結婚するまでの間が
強く印象に残っています。
通勤電車も一緒に乗っていましたし、帰りは、時々友達と一緒に
呑みにも遊びにも新地にも!連れて行ってくれました。
「ゆみパパ」って友人から言われて、父もその友人たちを
あだ名で呼びあって、楽しそうにしてたのを
思い出します。
よく友人の輪の中にも入ってきてました。
どれもこれも楽しい思い出ばかりです。
こんな事を話せるなんて、自分ながら笑ってしまいますが
落ち着きます。
ありがとうございました。