2013カレンダー できました。

今年もカレンダーができました。
昨年の個展の作品もありますが、どれもこれも
思い出がある作品です。

お手元に届くまで、しばらくお待ちください。
omote
1冊500円 注文は、希望の家ワークセンター

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毎年させていただいています。

教室のみなさんにもご協力を頂いています。
ありがとうございます。

再会

先日、9月に亡くなった父の名刺フォルダーを整理していました。
何百、何千とある、父が五十年以上前から新人サラリーマンだった時代の思い出なので、
捨ててしまうのは、ちょっと躊躇していたけど、
かさ張るし、自分もこの名刺フォルダーが必要なので
思い切って、ザクザクと捨てていました。

しばらくして、
一枚の名刺に手が止まりました。
「あ、知ってる方の名前と同じ…」
偶然にも手が止まったし、気になるし。
わからないから、尋ねてみようとその名刺を
別の場所に置いて他の名刺は、整理させてもらいました。

後日、その名刺をもって、
教室にいきました。
そしてお渡ししてみたところ
「私の名刺です!おお、懐かしいなあ」
まさかと思ったけど、その名刺は、
あの、「お絵かきココロ教室」のダンディーなお父さんのものだったのです。

聞けば、今から40年ほど昔、
古き良き時代に、父とその方は、名刺交換をしていたとか。
年齢的に2歳ほどしか変わらないので、
その熱き時代を少しの間、語って下さいました。

「先生とは、ご縁があったんやね」
その瞳は、昔を懐かしむ、遠い父の元気だった時代を知ってる
とても優しい眼差しを頂戴いたしました。

奇跡の再会ともいうのか、
その方の瞳に父の姿を重ねて、
ともに良き時代を生きた父たちの勇姿を少しの間、
拝見させていただくことができました。

しかし…
ここだけでは、この奇跡の再会は終わりません。
先日開催させて頂いた「水彩いろいろ展」。
開催の中日に、パーティーをしました。
そしたら、偶然、ほかの教室でレッスンをうけておられる方が、
再会をされています。
子ども時代の幼なじみ、
「ちょうこちゃん!」「あいちゃん!」
元職場の同僚、
「ご無沙汰しております…」

同じ会社の上司部下、同じ町内会…。
今まで、何度もこの再会の現場で立ち会わせていただきました。

この教室で、これだけ再会があるなんて
びっくりです。

奇跡の出逢い。
こんな素敵な教室だったなんて!
こんな瞬間に立ち会わせていただけるなんて!
あらためて、この教室のみなさんに感謝いたします。
水彩色鉛筆しててよかったです(^O^)

ワタシたちも

であいました…

ありがとうございました

先週金曜日に父が空へと旅立ちました。
皆様方におかれましたは、
生前には、親身に相談にのって頂き、ありがとうございました。
色々な方の支えがあり、心丈夫でした。

父は、寿命を全うしたと思います。

認知症介護に携わり、5年間は、
家族は右も左もわからない手さぐりの状態からはじまりました。
悲しみと諦めと、家族として尽くしたい気持ちが交錯した日々。

4年ほど前からは、自宅での介護心労は、ピークで家族みんなが、
それぞれ精神的にも疲れ果てていました。
日中深夜問わずの徘徊、トイレの場所もわからず、家中に用足しをしていました。
その清掃を気が付けばいいのですが、ときには、気が付かないこともあり、
全身で、動きを察し、寝ている時も、
離れて居る時も父の気配を目で追いかけていました。
オムツを履かすにも母と私で抱きかかえながらします。
その時すでに私の顔も覚えられず、
「この子、だれや?」と向かい合った顔をのぞきこまれた時は、
認知症という病気の本当の悲しさを知り得ました。

今振り返ればこの時期が家族にとっても、それ以上に本人にとっても
一番苦労した時期でした。
認知症としての現れるありとあらゆる症状をすべて、行っていました。
加えて、私は、子どもを出産したばかり。
ドラックスーパーでは、赤ちゃんのおむつと
大人用のおむつがカートに混載しています。
授乳させて居る間に、徘徊を制止させたときは、さすがに泣き叫びました。
徘徊に付き合うときは、娘をベビーカーで押しながら
散歩という気持ちで付き合いました。
そして、外部へお願いしようと決断に至るまでは
何度も心の葛藤が繰り返されました。
母が全面的に介護をしているのに、私は、そのサポート役。
私の方からねをあげてはいけないと、
自宅に居させてあげたい気持ちと限界の文字が胸の中で渦巻きます。
それからしばらくして、母も了承しました。

2年半ほど前からは、施設でお世話になっていました。
最期は、穏やかに眠るように、
そして、温かいスタッフの方に見送られたと思います。
家族の要望もたくさん聞き入れてくださって
若い方々なのに本当に一生懸命してくれたと思います。

父は、電器メーカーのサラリーマンでした。
土日もなく、まじめで、ずっと働きっぱなしの人生。
生真面目と熱心さで50年前の北海道に赴任し、
道なき道を歩き、厳冬の北の国で冷蔵庫を売っていたこと
朝起きると、布団が吐く寝息で凍っていたこと。
朝まで酒をのみ語り合った仲間のこと。
よくお酒が入ると何度も何度も武勇伝を聞かされていました。
家族も父の転勤にあわせ、曽根、仙台、枚方、宝塚と移り住みました。
ここ宝塚は、私の小児ぜんそくの治癒のために選んだ場所だと聞きました。

ことしの6月。
体調が崩し、医者からは、7月末まで持たないといわれていました。
ムセもひどいし、腸も受け付けなくなっていました。
しかしながら父は、口から食事も頑張って食べていました。
特に甘いものは大好きで
頂き物のマンゴープリンをぺろりとムセもなく完食したときは、
食事介助していた母もとても喜んでいました。
この夏が終わり、ようやく落ち着いていたのですが、
その時がきました。
お昼間は元気だったのに夕食後急に様態が悪くなりました。
大好きな食事をたくさん食べて旅立ちました。

母も「やっと帰ってこれたね。」と
2日間、脇で一緒にいることができました。
とても仲のいい夫婦でした。
子どもの時から夫を尊敬し、夫を自慢していました。
そして、スーツをきてパリッとした姿、
四国や西国のお参りでいただいた印やお袈裟をして旅立っていきました。
会社から頂いた数々の表彰状とともに…。
最期までサラリーマンでした。

父の身体はなくなりました。
高齢で84歳といえば寿命だとわかっています。
しかし、お父さんから受け継いだものは、
頭の先から爪の先まで、体質までたくさんあります。
いまは、たくさんの感謝につつまれて
改めておおきな感謝の気持ちにあふれています。

お父さんまた会える時まで、しばらくお別れです。
お疲れさまでした。

 

急遽臨時休講もさせていただき、
スタッフやみなさまには、大変ご迷惑をおかけいたしました。
諸事情は、お伝えできなかったので、ここで
改めて、お礼と感謝の気持ちをお伝えいたします。
ありがとうございました。

おかもとゆみ 2012年9月

3.11

あの日から1年経ちました。

もう。なのか。
まだ。なのか。

わたしは、「やっと」。
どんな想いをされて過ごしてきたのかと想像すれば
苦しい気持ちの中にも希望のひかりも見えてくるでしょうか。

被災された様々な方の声や文章に触れさせていただいたとき、
その方への祈りとともに
自らの生活を改め直さなければいけないと思います。

私達は、今までの生活にかかわる人にもっと感謝を忘れてはいけない。

人のありがたさ。
生きる意味。

今、自分が何ができるのかと自分とのココロと向き合い
残された人生
精一杯生きていかないといけない。

この1年。
色々な想いを教えて頂きました。
その教えを実践していかなければいけません。
心に留めて、これからも過ごしていければと思います。

もうひとつ。
10年間続いたコミュニケーショ誌「Sun(さんぽ)」が本年で休刊します。
先日印刷が仕上がり、現在配布をしています。
編集メンバーたちは、全員、幼児の子育てしながら
このボランティアに取り組んでいました。
その子たちもミーティング中は走り回る幼稚園児だったのに
今や親の背を越えた中高校生になります。
そんな中で、全16号を制作しました。

本文にも書いていますが、
この情報誌の作成のきっかけは、
ひとつのいのちの終りを見届けたところからはじまっています。
そして、いのちの意味を伝えたいといったメンバーたちが
その心の声を編集しています。

〰いのちとは…おわりではなく、はじまりもあるのです。〰

そんな想いから制作をしています。
そして、10年経った今年。
ひとつの区切りをつけるためにお休みとなりました。

私が編集長とさせていただいていましたが、
敏腕とはいかずに、
いつもメンバーに引っ張ってもらい、
気がきく彼女たちにフォローしてもらいぱなしでした。
そして、サポーターのみなさまのご理解とご協力により
運営も成り立ちました。
多くの出逢いに感謝いたします。

ここで学んだことは、これからの人生も大切になっていくことでしょう。

今回の最終テーマは、「つながる」です。
10年間、色々とつながった方への想いとバトンタッチを
お話させて頂いています。
阪神淡路大震災を体験した我々は、今回の東北大震災への想いも掲載していますので
こんな私たちの想いもまだ見ぬ『どなたかへ』と
あなた様からつなげて頂ければ大変嬉しいと存じます。
新たなる出逢いをつなげてください。

しばらく、持ち歩いていますので
必要な方はお声かけください。

宝塚市ボランティアセンター「ぷらざコム」にて

昨日、追加の絵ハガキを持って宝塚市にある「ぷらざコム」に伺いました。
また、宝塚広域ボランティア連絡協議会の方にお礼を伝えたかったのです。

制作した絵はがきは、壁面にボードを設置して、ひとつひとつ丁寧に袋に入れて頂いて
きれいに貼りだされています。
下の写真です。

先日の個展の時に絵はがき作成をみなさまにご協力お願いしました。
全部で100枚以上集まりました。
参加者は、1歳9カ月のお子さんからおとなと様々でした。
受講生も方にも協力いただき、宿題として
自宅で描いて頂いた方も中にはいらっしゃいます。
友人は、何度も会場に足を運んできてくれて
自宅にて親子でたくさん描いてもらった絵はがきと募金を調達してくれました。

募金も集まったは7,000円近くになります。
それと私の描いたハガキも加えていただきました。
目標の200枚を達成することができました。

資金は、切手代として扱って頂くようにお願いしています。

貼りだされた絵ハガキをみると
送り先の方に手をとっていただければと思えば
胸が詰まってきました。

描いていただいた絵が、とても素直で思いあふれている
とてもあたたかい絵なのです。

このあたたかい気持ちは、
きっと送り先の方にも伝わるものがあるんだろうと
まだ知らない相手の方々への思いと絵はがきを作った方たちの気持ちと
重ねて思いました。

12月16日。クリスマス前。
絵はがきたちは、南三陸町に向かいます。

みなさま。。
感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。

イベントのご案内

個展会場でのイベントのご紹介です。

絵手紙コーナーをつくっています。
みなさん、ぜひご協力ください。

一枚100円で、無地のハガキを買っていただきます。
そのハガキに絵を描きます。
メッセージなどもありましたら
書き加えてください。

宝塚広域ボランティア連絡協議会の方が作ってくださった趣旨です。
↓↓↓


この絵手紙コーナーの収益金すべては、
切手代などの支援金として宝塚広域ボランティア連絡協議会へお渡しします。

今回も震災復興のために何かできないかと
宝塚のボランティアセンターへ申し出ていました。
ボラセンを通じてこちらの連絡協議会を紹介いただき、
南三陸町の方へ、手作りの絵手紙をお渡しすることになりました。

サンプルを置いています。
ぜひご参加ください!

そして、このりんご…

福島県産です。
ご存じのとおり、東日本大震災の残した爪跡は、未だなお癒えぬものです。
先日、偶然にテレビを見ていれば、とある福島市の果樹園のレポートがありました。
風評被害に悩まされて、観光客も激減しているとの話でした。
何気に見始めていましたが、最後には、胸が詰まってきました。
そして、私はすぐに、ファックスをしていました。

番組内でオーナーが言った言葉が印象に残っています。
「わたしらはただ、おいしいものを作るしかない」

通常このシーズンだと、一日中大型観光バスで詰めかけたお客さんでごった返すそうです。
それが、旅行会社からもキャンセルが相次いでいます。
例年の10分の1。
オーナーは、泣きたいけど
涙をこらえて、必死で前を向いた様子で語っておられました。

遠く離れている私達に何かできることは、ないでしょうか。
震災直後は、いろんなところで支援活動が盛んになっていました。
今では、その情報が日常化されて、どこか麻痺しているところも
あると思います。
常に、自分たちに何かできないかと模索しながらこれからの
生き方を変えていければと思っています。

りんごの測定値も国の基準値を下回っています。
国や県からは出荷しても大丈夫だと判断されているのに
ニーズが無くなってしまっています。

ぜひ、みなさんの熱いご支援お願いします。
今回は、「まるげん果樹園」さんからお取り寄せしています。
HPからでも電話・ファックスからでも注文できます。

「忙しいのがいいの!」こうも言ってらっしゃいました。
私は、オーナーのお人柄に打たれました。
ぜひ、みなさんのお力で果樹園を
福島をそして東北を忙しくさせてあげてください。

福島をはじめ、東北にはたくさん果樹園はあります。
偶然みかけた場所ですが、ご縁で掲載させていただきます。

まるげん果樹園さんHP

プチヴォイラ 制作中~

3か月に一度発行される
宝塚市情報誌の「プチヴォイラ」
先日この7月に下旬頃に発刊予定の夏号の原稿納品が終わりました。
今回のテーマは、水遊びです。

子どもたちはとにかくいい表情を描くために
下絵には時間がかかります。

もちろん、水彩色鉛筆で描きますよ。

どんな仕上がりになっているのか。。。楽しみです。
印刷上がりましたらまたお知らせいたします。